書の作品なのに絵画のような印象を受け、心惹かれていた『石川九楊大全 後期 【状況篇】』。
5歳で書に触れ、79歳の現在も書家・書道史家として歩まれている石川九楊先生の作品をたっぷりと展示する企画展の後期。九楊作品愛に溢れる主催者の方にお話を伺いながら楽しく拝覧してきました。
vol.1の今回は、九楊先生が書家として歩み始めた20代〜30歳頃の、言葉をいかにして表現するかを追究した圧倒的熱量の作品の中から、特に気になった作品をご紹介します。
書の展覧会というと、敷居が高く感じる人もいるかもしれませんが、そこは九楊先生の作品に魅了された方たちの作る企画展。そんな先入観を覆す楽しさにあふれていました。愛のある現場というのはいいものです。
思想家・詩人の「言葉」を“自身最大限の正解”で伝えたいという思い
ただ言葉をなぞって文字を書くのではなく、詩人や思想家のその思いまでも表現する熱に圧倒されるような作品が並ぶ第一室。
書は「文字を書くのではなく、言葉を書く表現」である。
出典:『石川九楊大全』公式サイト
書とは斯くあるべきであるという常識や文化的な認識に反旗を翻すような作品が多く展示されています。
詩人・谷川雁の言葉を多く書にしており、中には、複数の同じ言葉をモチーフにした作品も。
詩人や思想家の言葉を、石川九楊というフィルターを通すことでどう表現するできるのか。もっと適切な表現があるのではないかと模索しながらも、書き表さずにはいられない衝動や熱を感じました。
「亀裂の断章」は、墨を染みさせた紙と新聞などをコラージュし、墨部分を引っ掻くようにして書いた作品。
墨の上と下、それぞれのコラージュに使われている言葉の色合いに注目すると、戦後20年と少しの間にあった歪みや亀裂を感じられるようでした。
「神」との関わりと日常世界
“エロイ・エロイ・ラマサバクタニ”とは、イエス・キリストが処刑される際に言った言葉。ヘブライ語で、“神よ神よ、どうして私を見捨てたのですか”という意味の言葉です。
そこから連なる言葉たちを全長85メートルにわたり書き表したのが「エロイエロイラマサバクタニ又は死篇」。第一室に展示されているのは、この長い長い作品のほんのイントロとのこと。
第二室には、イエスの言葉を記録したマルコ伝を書き表した作品など、キリスト教と関連の深い作品が展示されています。年を重ねて徐々に疎遠になっていったとのことですが、若い頃は信仰が身近にあったのだそう。
連作の「はぐれ鳥とべ」の習作は、ひとつひとつにさまざまな技法が試されていて、つい見入ってしまいます。
筆の運びや力の加減で線の表情が変わったり、墨のにじみやかすれなども、どのようにできたのか覗き込んでしまったりして。
習作を経て、作品としてまとまった姿は、習作とはまた違った表情に。余白の取り方や背景の色、言葉の向きなど気になる点がたくさんあり、ついじっくりと見つめては読んでしまいます。
線の強弱や濃淡は、どのような観点でつけられたものなのかも気になるところ。実物から放たれる空気感を感じ取りに行くのも楽しそうです。
日本初公開となる「日常動詞」。もちろん書なのだけれど絵画のような趣もあります。どことなくポップな雰囲気を感じさせるピンクに近い赤は、裏側から滲みさせてつけた色だそう。
どこか動物を思わせるようなフォルムの中には、日常に使われる動詞が書かれています。いくつの文字、言葉を見つけられるでしょうか。
親子で行って、ゲーム感覚で言葉探しを楽しむのもいいかもしれませんね。
記号的な枠が引かれた「白夜日記」には、どことなく日本のシュルレアリスム的な雰囲気を感じます。
また、この作品にはハズレ馬券やハズレ宝くじ、球場の半券などが貼り付けられており、現代アートのような面白さも。日記というだけあり、少しの非日常が置かれているのでしょうか。
書の作品に他の要素を組み合わせるというイメージがなかったため、とても興味深く感じました。
『石川九楊大全 後期 【状況篇】』は、上野の森美術館で開催中
現在、上野の森美術館で開催中の『石川九楊大全 後期 【状況篇】』。会期は2024年7月28日まで。
<後期>とありますが、前期を見ていなくても十分に楽しめる内容です。興味が湧いた方は、ぜひ足を運んでみてください。
子どもたちの夏休み初頭までの会期ではあるものの、宿題の題材にするにはぴったりの時期。作品の中から文字や言葉を探したり、どんなことを感じるか、どんな発見があるかなど、自由研究的な視点で、親子で鑑賞するのも楽しそうです。
『石川九楊大全 』公式サイトはこちら
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次回、vol.2では、30〜40代の作品と、自由律俳句を書いた作品に触れていきます。